リー・ホンボー:卓越への情熱
ディオール マガジンが新たにお届けする「ディオール ハンズ」は、ファッションの卓越性を体現する特集。オートクチュールで重要な役割を担うアトリエ フルー(ドレス)とアトリエ タイユール(テイラード)の責任者である「プルミエ ダトリエ」を務めるリー・ホンボーは、今年、ディオール20年目のキャリアを祝います。メゾンが大切にするサヴォワールフェールへの無条件の愛に支えられてきたリー・ホンボーの輝かしいキャリアをインタビューで紐解きます。
BY MARIE AUDRAN
マリー・オードラン(以下MA):2004年10月4日、ディオールでの第一日目をあなたはどのような気持ちで過ごしましたか。 リー・ホンボー(以下HBL):夢が現実になったけれど、まるで現実味のない時間。この日のことは一生忘れないでしょう。実は、今でもまだ夢の中にいる気分です。私はもともと6か月のインターンシップを行うためにディオールに来たのですが、そのままディオールで働き続けています。幼いころからファッションが好きだったのですが、クチュールのアトリエを所有していた母の影響が間違いなく大きいと思います。早くから私の夢はデザイナーになることでしたが、この仕事がいかに過酷で、徹夜やストレスが多いかを知っていた母はひどく困惑していました。でも、この仕事に情熱を注いでいる私は全くの疲れ知らずなんです。 HBL : 私は、大連大学で服飾を学びました。大学に入学するには、中国で服飾を学ぶ際に必須とされているデッサンの試験に合格する必要があったのですが、私は3か月という短期間で、デッサン技術を習得しなければなりませんでした。当時私はディオールの歴史に魅了されていたのですが、ディオールで働く機会を得る唯一の方法は、パリに留学することでした。そこで私は、2001年、「パリ オートクチュール組合学校」(現在の「フランスモード研究所(IMF)」)に入学しました。そして、同期卒業生の中でグランプリを受賞した際の賞がディオールでのインターンシップだったのです。中国に戻るつもりですでに荷造りを済ませていた私にとって、青天の霹靂でした。私の受賞作品がジョン・ガリアーノによるディオール ルックや解体されたスーツからインスピレーションを受けたものだったことからもお分かりいただけるように、ジョン・ガリアーノの作品に深い感銘を受けていた私が、彼がクリエイティブ ディレクターを務めるディオールのインターンシップに行くことができたのは、全ての点が1本の線でつながった、現実とは思えないほど素晴らしい出来事でした。 HBL : すぐにクリエイションスタジオへの配属が提案されたのですが、私はまず、アトリエで手作業によるサヴォワールフェールを学びたいと願い出ました。そして、アトリエでメゾンのエクセレンスの全てを体感できたのです。顧客や、次のショーのためのピースが制作されるさまをこの目で見たときは、感動で胸が一杯になりました。こうして初日からアトリエ タイユールでの仕事が始まりましたが、「バー」スーツや、クリスチャン・ディオールの型紙の建築的技巧に感銘を受けていた私にとって、これ以上の幸せはありませんでした。本当に幸運でした。 HBL : 「完璧」「第二次世界大戦後に誕生した、フェミニニティの新たなビジョンである『ニュールック』革命」「しっかりと構築されたクリエイティブな建築」です。 HBL : 最初の仕事は、ファブリックに型紙を縫いつけ、裁断し、手作業で「構築」する「パッセ レ フィル(糸通し)」でした。顧客とのフッティングののち、デザインを傷めないようドレスを解体し、再び平面にします。調整後、再度ドレスを構築します。さらに1か月半かけて、ディオール クチュールの伝統的サヴォワールフェールを駆使しながら、「ハーフトワル」と「ハーフジャケット」の制作を行いました。こうして私は「バー」ジャケット構築の1から10までの全てを習得したのです。 HBL : マリア・グラツィア・キウリとのクリエイティブな対話はとてもスムーズで、やりがいがあり、絶え間なく動き続け、常に再解釈され新しいものが生み出されています。彼女とのコラボレーションの喜びは格別です。私は、マリア・グラツィア・キウリが持つ、超モダンで極めて人間的なファッションとフェミニニティのビジョンと融合する、さまざまな卓越したテクニックを提案できます。私のチームは、2024年春夏 オートクチュール コレクションのために彼女がデザインした59点のデザインのうち、32点のドレスを担当しました。マリア・グラツィア・キウリの全面的な信頼に支えられた、かけがえのない、真の挑戦でした。そして、こうしたコレクティブな作業により、私たちの顧客がさらに魅力的な輝きを放つのを目の当たりにするのは、極上の喜びなのです。 |
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