メキシコ帰国後、ふたりは亡命中のトロツキーやフランス人詩人アンドレ・ブルトンを迎えます。1939年、アンドレ・ブルトンは展覧会開催のためにフリーダ・カーロをパリに招待しますが、シュールレアリズムに批判的だったカーロは、自身がどんな芸術運動にも属さないこと、どんな犠牲を払ってでも自由であり続けることを高らかに宣言しました。メキシコでは国民レベルのアイコンとして認識され、世界中から賞賛を受けましたが、彼女の病弱な体は病に冒されていました。移動もままならない体となった彼女は、自身の作品を展示した回顧展をストレッチャーに横たわって会場に姿を見せたのです。1954年、カーロは47年の短い生涯を閉じました。最後の作品となった絵画の中心には、反乱の叫び声のように「Viva la vida!(人生万歳!)」の言葉が躍動します。それは、自身を超越し、創造し続けるために自分の心の声だけに耳を傾け、芸術や愛、友情という無条件のパワーによって人生や試練を高みへと押し上げたアーティスト、フリーダ・カーロの、最後の咆哮だったのです。